源流
アトリエシムラの源流は、大正時代末期に思想家・柳宗悦によって提唱された民藝運動にまでさかのぼります。民藝とは「民衆的工藝」の略語で、日本各地の名もなき職人によって生み出された日常の生活道具の美を発見し、物づくりの理念を打ち立てようとする運動でした。工芸とは、「健康の美」「用の美」「無心の美」「伝統の美」を備えたものであるという柳の考え方は、私たちとって今でも示唆を与えてくれています。
志村ふくみの両親であった小野元澄(もとずみ)・豊は滋賀県近江八幡で開業医を営みながらも、柳宗悦、陶芸家・河井寛次郎、濱田庄司、富本憲吉、木漆工芸家の黒田辰秋、染織家ら錚々たる民芸作家たちと親しく交わり、「民藝」という新しい美の理念に共鳴していました。豊は上加茂民芸協団の染織家・青田五良から染織の手ほどきを受け、機織りをしていました。1926年には、夫婦で芸術教育を中心とした「昭和学園」という滋賀県初の私立小学校の設立に尽力し、自らの子供たちも通わせました。私たちにとって芸術と教育は最初から密接にかかわるものでした。
1956年、柳宗悦の勧めで染織の道に入った志村ふくみは、紬糸(つむぎいと)、草木染め、手機という原則のもと、自由な発想でこれまでの紬織とは違った独自の作品を制作しました。それはいわば、古代裂などの伝統的な文様のうつしではなく、自らの心象風景を織り上げるというものです。テーマは琵琶湖や嵯峨野の風景、古今和歌集や源氏物語などの古典、旅先で出会った風物など多岐にわたっていますが、すべては一人の作家の心の風景を作品にしたものです。自らの内面と向き合い、心象風景を織り上げるという考え方は、私たちの根本的な制作姿勢になっています。
娘・志村洋子は母ふくみと同じように染織の道に進みながらも、ドイツの文学者・ゲーテや思想家・ルドルフ・シュタイナーの色彩論と出会い、日本と西洋の色彩論を融合させた新しい地平を切り開きました。1989年には、宗教、芸術、教育など文化の全体像を織物を通じて総合的に学ぶ場として都機工房を設立し、日本伝統の着物という枠を超え、「色」という普遍的な美を目指すようになりました。
2011年の東日本大震災と福島原発事故の危機をきっかけに、自然と人間の未来についてかつてないほど危機感が高まりました。自然や染織にかかわる私たちとしてこの時代に何ができるのか、ということを真剣に考えた結果、2013年、社会に開かれた芸術教育の場としてアルスシムラを設立しました。今日に至るまで、アルスシムラにはその芸術精神に共感する多くの人々が全国から集まり、社会へと巣立っています。
2016年、芸術教育から歩みを進め、ものづくりの具体的な実践の場として設立されたのが、染織ブランド・アトリエシムラです。アトリエシムラでは、志村ふくみ、洋子の芸術精神を継承し、植物の色彩世界を次世代に伝えていくことをテーマに、植物の生命の色と手仕事を大切にしながら、制作を行っています。